〇〇で人は変わる!!人生を幸せへと導く鍵ここにあり!

はじめに

『勉強』という言葉に、反射的に「うっ。。。」と思わず拒否反応を示してしまう。
そのような経験があるのは私だけではないはずだ。
「ましてや、自分から進んで勉強するなんて、以ての外だ!」
と考えてしまうのも十分わかる。
誰にも強制されていないなら、独りで学ぼうという意欲は起きないだろう。
現代社会には、手軽に楽しめる娯楽が山ほどある。
動画配信サービスやゲーム、漫画も、ポケットにあるスマートフォンを使えば
すぐに楽しむことが可能となる。
それだけで、私たちの脳はドーパミンで満たされて、快楽を得ることができる。
「それなのに、なぜ学ぼうと思うのだろうか?」
「なぜ学ぶ必要があるのだろうか?」
多くの動物は、目先の報酬に飛びつく。
しかし、人は目先の報酬に惑わされずに、グッと堪えて成長した大きな報酬を得ることができる。
地面を耕し、種を蒔き、報酬という果実を手にしてきた。
これも一つは、学びの結果と言えるだろう。
人は【学び】によって変わる。
変わるためにこそ、人は学ぶのだ。
今回は、【学び】を再定義し、思わず学びたくなるような話を紹介する。
人は【なぜ?】が大好物

人は「なぜ?」と問うてしまう生き物である。
それと同時に、この「なぜ?」というのは【学びの支え】でもある。
「なぜ?」という知的好奇心が、我々人類を【学び】へと駆り立て、
先人たちの【学び】の蓄積の上で現代社会が成り立っている。
そして、【学び】には欠かせない要素がある。
それは、【認知】と【行動】である。
この【認知】と【行動】の形成には、大きく分けて2つのシステム(プロセス)がある。
システム①無意識で自動的

システムは①は迅速かつ直感的に動く。それは、昔気質の職人のようである。
ある動作を繰り返し行うことで、徐々に無駄な動作が削ぎ落とされ、研ぎ澄まされていく。
このシステム①を活用した、記憶定着化のテクニックを【真理の錯誤効果】という。
真理の錯誤効果
旧石器時代の世界では、繰り返す出会うことには覚える価値があった。それが自身の生存に大きく関与したからだ。そのため、ある情報に繰り返し触れると、脳に深く刻み込まれる。
これを現代では、勉強のテクニックやプロパガンダとして活用されている。
対象者に、何度も繰り返し情報刺激が入るように環境をデザインし、システム①を誘導し、記憶の定着化を図っているのだ。
そのため、テレビで何度も報道されていると、それが嘘だとしても、まるで真実のように錯覚してしまう。
システム②意識的な制御

システム②は、処理が遅く、熟慮的に働く。
それは、まるで理屈っぽい新人のようである。
大きなメリットは、言葉を使って考えられる点である。
つまり、目の前に具体的な物がなくても、まるで実態がそこにあるかのように考えることが可能なのだ。
これにより、以下の2つの思考が可能となる。
仮説的思考
if then構文のように、『もし、〜だったら』と考えることができる。
これは、実体験が欠如しているにも関わらず、行動による結果を推測する事が可能となる。つまり、予測してリスクを回避することや、より大きな報酬を手にすることに役立つ。
反省的思考
『自分が"なに"をしているのか "なに"を考えているのか』
上記の文章の"なに"に【自身の様子】を当てはめる事で、内省を可能とする。
客観的に自身の行動を振り返る事で、学びへと昇華する事ができる。
学ぶ目的

システム①と②を説明してきたが、現代社会において重要なのは②である。
旧石器時代であれば、システム①のような原始的な学習で事足りた。
しかし、現代社会ではシステム②のような学びが必要となる。
そして、そのような考えを我々人類は
過去から未来へ【知識のバトン】として繋げてきた。
生得的な認知機能だけでは解決できない問題を解き
そのために知識を蓄え、自らが生きる環境を改変してきた。
儒教の師である孔子は下記のような言葉を残した。
我は生まれながらにして、之を知るものにあらず。
古を好み、敏にして以って之を求めたる者なり。
(わたしは決して、生まれながらに物事を知っているものではない。
昔の聖人の学を好み、努力してこれを探求した者である。)
孔子
まとめ
【学び】とは、世の情勢に惑わされずに生きる力である。
単なる知識の吸収だけに留まらず、日々学び磨き続けることが重要である。
そして、その【学び】を後世へと伝えるのも現代に生きる私たちの義務である。
とまぁ堅苦しく考えず、
自分の人生をより良いものに変える。
もしくは、友人や家族の悩みを解決する一助となり得るのが【学び】である。
先人達の知恵を拝借する事で、あなたらしい人生が送れることを願う。